梅棹忠夫「知的生産の技術」は、今の時代でも新しい

みなさま、ご無沙汰しております。日記も書けよなー。しかも、先日スパムコメント攻撃を受け、、、いまはコメント封鎖中です(泣)。

明日から夏休み第1弾です。実は「採点の祭典」フィナーレがつみ残ったのですが、それは明日やるということで(笑)。

今年は、京都外大の初年次教育「言語と平和」のカリキュラム改定、ワークブック作りをワーキンググループの先生方と進めています。もうちょっとで完成というところ。

そして、今、梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」を読みなおしています。先日亡くなられた、ということもあり、もう1度読んでみようという気になったのです。最初に読んだのは大学生の頃だと思うので、ほぼ20年ぶりくらいに読みました。

 


感想を一言でいうと、「梅棹先生、すごすぎるで、、、」です。初版は1969年。今から40年前です。内容は全く古びていません。そして、なんて未来を見ていたんだろう、ということに驚きました。

この本で有名なのは、いわゆる「京大カード」で、カードで情報を整理しよう、ということです。1カードに1つの情報を書き、どんどん貯めて、随時再構成していく、ということですね。この「京大カード」は多くの人がご存知だと思います。

ちょっと驚いたのは、タイプライターを使うべきだ、ということで、ローマ字を推奨してみたり、カナタイプライターのすばらしさを述べてみたり、新しいものへの挑戦が見えます。この後、ワープロ、かな漢字変換、パソコンへと変遷していくわけですが、この時代からそういう未来をイメージもしていたのかな、と思いました。

そして、「文章」を書く章では、「こざね法」として、やはりカードに主題を書いて論理的につながるように並び替えてホチキスで止める、という方法を提唱しています。これは、まさに今、パソコンで文章を書く際に必ず身につけてほしい、とても重要な方法だろうと思います。こういうのを読むと、今の時代のほうがもっと文章がうまくなっていて当然なのに、、、と思ってしまったりしますね(苦笑)。

最近の学生は文章の作法も知らない、なんて言われたりしますが、「原稿」の章で、"大学生が原稿の書き方の基本ルールさえも知らない"ということが述べられており、"これは学生にかぎらないことで、大学の教員でも基本ルールを知らない、そもそも「原稿の書き方」を教えることがない、教えるべきだ"と述べています。40年前から、"大学で文章の書き方を教えるべきだ"と言われていたのに、実際は10年くらい前からようやくスタートした、ということですかね。そういう意味では、大学などよほどのことがないと大学が変化することはないのだな、という気がしました(苦笑)。

あと、「自分が書いたものが印刷になる機会は、無数に転がっているのである」ということも指摘されています。もちろん相対的なものだとは思いますが、40年前でも、一般人が自分が書いたものを世に出しやすくなった、と思われていたわけです。今の時代なんて、もういわずもがな。ネットに文章があふれまくってますよね。

良書、というものは、時代を超えて与えてくれるものがあるのだよな、ということを再認識しました。そして、梅棹先生が常に未来も意識していたのだろう、ということも感じられました。こう感じたのは、きっかけがあるのですが、それはまた別の機会に。

ぜひ、今の大学生のみなさんにも読んでほしい1冊です。

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このページは、村上正行が2010年8月12日 23:55に書いたブログ記事です。

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