内田麻理香「科学との正しい付き合い方」を読んで

GW2日目。家にひきこもる。授業で使う統一のマニュアル(今日はPowerPoint)の作成など。

先日、内田麻理香さんの「科学との正しい付き合い方」を読みました。

 

1番共感し、大事だなぁ、と思ったのは、子ども(本当は大人も含めて)にどうやって科学の面白さを伝えていくか、感じてもらうか、という点です。まず、「科学ギライにさせるブレーキべダルがある?」(p32~)で、科学が苦手だという理由が3点上げられています。

  1. こんな勉強をして、何の役に立つんだ
  2. 理系科目の勉強は苦痛
  3. 教える人がきっかけで、嫌いになった

なるほど、、、確かに。院生時代(13年ほど前)に5年間、塾(中学がメイン)で働いていましたが、たしかにこういう意見はよく聞きました。ま、1.については、「数学できるようになったら、かっこよくなれる。わしみたいに!」という、かなりなはったりを使ってたのですが(汗)、もちろん、分かったり、できるようになったりしたらが楽しい、ということを体験してもらうしかないですよね。そこは教える側の辛抱が重要かなと思います。2.については、運動系などのクラブに入ってる子どもには「基礎練習の重要性」を説けば、分かってはもらえる気がします。子どもがやるかどうかは別にして(苦笑)。

問題は3.。これは理系に限らず、ありますよね。教員というのは、基本的に得意な分野を教えることになっているので、分からない子がなぜつまづくのかが分からない、というケースは多いと思います。この点については、私も昔から随分気をつけているつもりですが、それでもまだ不十分なんじゃないかなぁ、と思います。とにかく「何で分からないんだ!!」ということは言わないように、つまづいているところを丹念に見ていく、ということが大事ですよね。この辺は、市川伸一先生@東大の研究になるのでしょうか。

いま、大学でも「学力低下」が話題になっていたりしますが、そもそも昔と大学の状況や位置づけが変わってきている(進学率が高まり、18歳人口が減っている)のに加え、そもそも今の大学教員と同じようなタイプの学生は多くの大学でほとんどいない(研究系大学は別ですが)わけです。そんな中で自分の経験を踏まえて「今の学生は勉強できない」「本を読まない」とか言ってみても、意味がないと思うのですよね。先日も、「授業をする際は、教員が面白いと思ってることが重要」という話を研究仲間としたこともあったので、この気持ちはしっかり持っとかないといけないな、と思います。

さて、本の話に戻って。。。p108~p111のこぼれ話。個人的にはここが1番良かったです。ここは下の1文でまとめられています。

「親が興味を持っていることであれば、子どもは勝手に好きになります。まずは、親が興味を持つことが大前提ではないでしょうか?」

これは本当にそうだと思います。私にはまだ子どもがいませんが、いろいろな人に話を聞いても、ちょっとしたきっかけで科学や勉強が好きになり、周りの大人が芽を摘まなかったことが大きいんだろうな、と思います。

なぜかよく「子どもが勉強できるようにするにはどうしたらいいですか??」と聞かれるのですが、いま薦めているのは、小学校の勉強を親も子どもと一緒にする、ってこと。小学校の勉強をなめてはいけません。親もみんな昔勉強してたはずですが、随分忘れてるはず。特に理科と社会。一緒に面白がれれば、子どももすごく楽しくなると思うんですよね。もう1回。小学校の勉強をなめてはいけません。これは、大学の「情報数学」や短大の「数的理解」の授業での決まり文句です(笑)。

中級編(p77~)で科学リテラシーの説明をした上で、科学リテラシーとは「科学的思考法」と「科学的知識」の2つから構成される(p89~)としています。そして、物理学者のファインマンの例をあげながら、「科学的思考法」の重要性を述べています。たしかに一般的には「科学的知識」の方が注目されてしまいがちな気はします。この両輪がそろうこと自体が重要だ、ということですね。これは、大学の初年次教育なんかにも通じるところだな、と思いました。まあ、あまりに論理的に話をしすぎると「やっぱり理系だからね」と言われることも多いので、この辺が難しいところではありますが(苦笑)。

あと、p124に「「分からない」と潔く認める」という節がありました。これも同感です。自分より若い人から教えてもらう、という気持ちを持つようにしています。大事ですよね。まあ、どこまでうまくできてるか、分かりませんが(汗)。

さて。読後、こういうことを思っていたのですが、先日、twitter上でいろいろ論争がおきていました。「Togettor 科学狂信主義に関する議論」

難しいですね。確かに「新著「疑う力を阻害するもの『科学教の狂信が思考停止に』」掲載」という箇所だけをブログに載せたことによって、なんか余計に問題を大きくしたような気はしました。言いたいことも(多分)分かるのですがど、宗教とか狂信とかいう言葉が変に一人歩きしてしまっているような。

私も、事業仕分けの後に行われた「ノーベル賞・フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算をめぐる緊急討論会」の後半部分をUstreamで見ていたので、すごく違和感を感じていました。なんかずれているように思えたし、変に熱狂しているように思えたし。そんなこともあったからか、私自身は本を読んだときに、「まあ、そうやなぁ」と思ったし、宗教についても気をつけないといけない面はあるし(オウム事件のときに学部生だったので、当時いろいろ考えた)、というくらいの気持ちで読んでました。今見ると、その辺にほとんど本に折り目がない(気になったところに折り目が入れる)ので、あまり気にせず流したのかもしれません。

ただ、あの事業仕分けの時には、自分も含めてみんな憤りとか焦りとかがあったのだろうか、とも思います。今回の事業仕分けも含めて、研究者として、大学教員として、何をすべきなのか、ということは考えたいな、と思ってます。

この本が目的とするところの1つは、社会への働きかけだと思いますし、とても重要だと思います。そういえば、以前、同僚で昆虫の保全生態学が専門の畑田先生(うちの大学では畑田さんと私だけが理系)のお話を聞いたときにも、専門家じゃないうちの学生に生物や科学のことを知ってもらうことで、おいおい世の中に伝わることになるから、授業はとても大事だ、ということを言っていたのが印象的だったことを思い出しました。

学生や同世代の一般人(特に子どもがいる方)にも読んでもらいたいと思うのですが、1260円はちょっと高いですね、、、そこがちょっとネックです(苦笑)。もしかして電子書籍になったら安くなるかも、と思ったりしますが、多分これを読んでほしい人たちの層は、電子書籍をすぐは使わなさそうだし。うーむ、なかなか難しいなぁ、と思いました。ま、これはこの本に限らない、今後の課題ですね。

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このページは、村上正行が2010年5月 2日 23:55に書いたブログ記事です。

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