入試業務はなし。午前歯医者。左下の治療をいったん中断。ここまで15回。次は右上。ポイント制にして、20回行ったら1回特典、とかだったらいいのに(笑)。
大学へ。こまごま作業して、学生が訪問。教職対策の講座をすることに。3月中に4回ほど。理科と数学。どうやるのが一番いいのか、探りながらになりそうだけど、動機付けはすでに高いので、大丈夫かな。
理事長から海外出張の辞令交付を受ける。その後、大学コンソーシアム京都へ。その海外出張というのは、連携GPでイギリスのFD調査を行うというもので、4つの大学を訪問して今後の参考にするという目的。今日は、そのメンバーの顔合わせ兼打ち合わせ。4名の教員と2名の職員で行くのだけど、私以外の教員は2名が教務部長、1名が代表校の教授、で、すこしどきどきする。。。
「福翁自伝」を読み終えた。いうまでもなく福沢諭吉の自伝。別に慶應出身というわけでもないのだけど(笑)、大学教育に関するいろんな本にこの「福翁自伝」が引用されていて、これは読んでおかねば、と思って読んでみた。これまでいかに教養がなかったか、ということでもあるのだけど(苦笑)。
なるほど、確かに面白い。幕末から明治時代にかけて、諭吉が歩んできた人生がとても生き生きと描かれている。緒方洪庵の適塾に入り、学び、慶應義塾大学を作る。すごいのは学問に対する情熱で、蘭学の本をむさぼり読み、英語の本もむさぼり読み、海外に行ける機会があればなんとしてでも行こうとする、その気概がすごい。そして、写本だ。ひたすら写本する。
よく引用される部分だが、下記のようにある。
「それゆえ緒方の書生が幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、頓と実際の仕事に縁がない。すなわち衣食に縁がない。縁がないから縁を求めるということに思いも寄らぬので、しからば何のために苦学するかといえば、一寸と説明はない。前途自分の身体は如何なるであろうかと考えたこともなければ、名を求める気もない。名を求めるどころか、蘭学書生といえば世間に悪く言われるばかりで、既に已に焼けに成っている。ただ昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がっているようなもので、実に訳のわからぬ身の有様とは申しながら、一方を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、おのずから楽しみがある。これを一言すれば ―西洋日進の書を望むことは日本国中の人に出来ないことだ、自分たちの仲間に限って斯様なことが出来る。貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる。」(p111-112)
純粋な好奇心、向学心を持って勉強していう様に感服する。もし、自分がこの時代に生きていたならば、ここまでできるだろうか。
また、大学経営というか、リーダー論に関する点で、この記述が心に残った。
「例えば慶応義塾を開いて何十年来様々変化は多い。時としては生徒の減ることもあれば増えることもある。ただ生徒ばかりではない、会計上からして教員の不足することもたびたびでしたが、ソンナ時にも私は少しも狼狽しない。生徒が散ずれば散ずるままにしておけ、教員が出て行くなら行くままにして留めるな、生徒散じ教員去って塾が空き家になれば、残るものは乃公一人だ、ソコデ一人の根気で教えられるだけの生徒を相手に自分が教授してやる、ソレモ生徒がなければ強いて教授しようとは言わぬ、福沢諭吉は対塾を開いて天下の師弟を教えねばならぬと人に約束したことはない、塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はせぬと、原の祖気に極端の覚悟を定めて、塾を開いたその時から、何時でもこの塾を潰してしまうと始終考えているから、少しも怖いものはない。」(p378)
もちろん、今の時代、学生獲得の戦略は必要だが、この腹のきめ具合がものすごい。リーダーたるもの、これくらいの気持ちが必要なんだろう、と思う。
読んでみて、自分はまだまだだ、と思い知らされた本である。また数年後に再読してみたいと思う。
口述筆記だから、当時のものとしては珍しい話し言葉なので学生にも読みやすいはず。毎年授業で学生に勧めるが、何人が読んでくれているやら。
当時としては珍しい口述筆記で、会話調の軽妙な文体は学生にもわかりやすいはず。毎年講義で学生に勧めるのだが、果たして何人が読んでくれているだろうか。
>TAKA先生
たしかに、学生に薦めてみるのはいいですね。
数名でも読んでくれれば御の字ですよね。