大学生のジレンマ、大学教員のジレンマ

昼から京大総人・人環同窓会に参加。前半はフォーラムで、学生が中心となった企画。学生アンケートの結果紹介、学生生活のドキュメンタリーのビデオを見た後、学部生や新社会人がいろいろな意見を述べて、フロア全体のディスカッション。議論の論点は定まらなかった面はあるが、学生のフレッシュな意見が初々しく感じられ、とてもよかった。15年前も今も、本質的には変わらないのだな、ということも確認できた。

その後、総会があって、懇親会。研究科長に声をかけていただいたり、同級生や学生たちと話をしたりで、楽しいひと時だった。

ディスカッションのところで、「大学では、学生は教員をあてにしてはいけない」とコメントした。自分への戒めでもあり、問いでもあるが、大学側がいろいろ準備することによって、学生はスムーズに学生生活を送ることが出来る。ただ、準備しすぎることによって、学生の別の能力を修得する機会を奪っていることにもなる。

パネリストの学生が、就職や教務的な支援について「大学に制度的にやってほしいこともある反面、自分でやるべきだと思うこともあり、プライドもあるから、そこはジレンマだ」といったような趣旨のことを発言していた(おぼろげなので、間違っていたらごめんなさい)。多分、そのジレンマを感じること自体が重要なんだろうと思う。大学時代に生じる問題については、解決方法はたくさんあるし、解は1つではないと思うが、自分なりに解決する能力は間違いなく必要だ。そんなにうまくいかないけどね。

そういう意味でも、無駄な時間も必要。人生そんなに順調にいくわけがない。学生時代の無駄な時間は、あとで価値が出てくる。だいたい、大学が準備して無駄なく大学生活をしたとして、社会に出て目の前に現れた問題に対応できるだろうか。

と、ここまで書いてきたものの、大学教員として、またジレンマを感じる。準備しないと学生ができない、それをほっておいていいのか、という問題だ。こちらでいろいろ準備して学生が出来るようになって、それをいかして、学生が主体的に出来るようになる、というストーリーを考える。ただ、バランスは難しい。偏差値だけでもなく、大学によっても、いや同じ大学の中でも、学生気質はいろいろある。眼前にある課題は大きい。

あ、でも上で「ジレンマを感じること自体が重要」って書いたな(苦笑)。じゃあ、今の自分もOKってことかも。そう思うことにしよう、そうしよう(笑)。

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このページは、村上正行が2008年6月21日 23:55に書いたブログ記事です。

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